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2019年12月

日本舞踊のセリフ

日本舞踊は身体表現なので、基本的にお稽古するものは、
娘、子守、船頭、奴、傾城、芸者といった役々の体の使い方ということになり、明確なストーリーがない変化舞踊や、
お座敷で踊られた端唄や小唄、そして御祝儀舞踊ということになります。

そのために、初めてご覧になった方が「内容がわからない」と言われてしまうのも無理もないことだと思います。

歌舞伎にはセリフもありますし、明確なストーリーもある。
落語は全てセリフということになるので聴いていて納得しやすい。
狂言もセリフがほとんどなので、理解しやすい。

日本の伝統芸能のなかでも、日本舞踊はとっつきにくいもののひとつになってしまう要因かもしれません。

例えば、キセルを使ってたばこを吸う表現も、お扇子でやってたのでは何をしているのかわかりにくいんだと思います。

さすがに銀色のお扇子を2本持った人が10人並んで、上から下に揺らしていれば水の表現だとわかってもらえるようですが、
10人揃うというのは本当に大変なことです(笑)

僕のお稽古場でも、松の緑とか関の小万のような作品はなかなか出ない。
こうだよと教えても
「わからない」と言われてしまうから。笑

どうしても「たけくらべ」のように小説から舞踊化したものとか
「鴬宿梅」「京人形」「将門」のようにストーリーがわかりやすいセリフのあるものが人気。

なかでも「鴬宿梅」はコストも安く押さえられるので一番人気なのですが、
そうなるとセリフが多少恥ずかしがらずに言えるようになりたい。

はじめて咲いた梅の木(武家の娘のような可愛らしい衣裳で登場)が鴬を待っていると、からすがやってきて「自分が鴬だ」と名乗り、宿を貸ります。
梅は「鴬は、きいろいあおい着物を着て、ホーホケキョと唄う」と聞いているので怪しむのですが、からすがなんとかごまかしてしまう。
そこに本物の鴬がやってきて...となるのですが、
三役ともセリフが多い。

とくに梅の役はからすや鴬に質問をたくさんするので、セリフの順番を間違えるわけにはいかない。


僕自身、これを演じた亡き祖母のビデオから振りを起こして、先輩方と梅の役を2回、鴬を1回やりましたので、
おさらいにもよく出るようになったんですが、
セリフは現代劇になってしまうわけにはいきません。

逆に、歌舞伎や狂言、文楽の発声を心得ていれば、
現代劇にも通用します。

ドラマで「あの演技力の高い俳優はなにもの!?」と
ネットで話題になった方が実は歌舞伎役者だった
という例はいくつもありますね。

お笑いでも落語でも、日本独特の「間」を知っている方が笑いを取れる傾向にある気がします。

お客さんの心理をついて「次はこの人何言うんだろ」という期待をさせて、一言でさらってしまうのがうまい方は、
間の取り方がとてもうまい。
 
ドリフのコントなどはまさにそれだと思います。

で、僕が梅をやりましたときに、鴬のセリフで困ってしまったことがあります。

「かぁかぁかぁは からすの唄じゃ」という
「からすの唄じゃ」が
「かぁかぁかぁはー、からすの唄じゃ。」って、からすの「か」を強調して語尾が下がっていった。

ひとりが全部の役をひとりでやるならそれでもいいんだけど...
※名前は書きません。

どういうことかと言いますと
舞踊は歌舞伎と同じで、ひとつの役をひとりが演じます。
つまり会話です。

そのため「なにがなにして なんとやらー」の「なんとやらー」をはっきり大きく言う傾向にある。
役者さんによっては「なにがなにして、マなんとやらー」って
小さい「マ」とか「ア」を入れる。

「なにがなにしてー、、、なんとやら。」とは言わない。

「それはからすの唄だよ!」と教えてあげる大事なセリフですから、
「からすのうたじゃ」ってさらっと言われてしまうと、
どうにも次がやりにくいし、
お客さんも「ん?なんて言った?」ってなると思うんですよね。。。

相手が次のセリフを言い出しにくいと思うし、
音響さんなどは「え!?かけていいの!?どうすんの!?」って、本当に困ってしまう。
(父が音響屋さんで、僕も助手をしてたときに何回か困りました)

六代目菊五郎さんが「弁天小僧菊之助たぁ、俺がことだ」をさらっと言っているのがレコードになっていますが、
いまの菊五郎さんが
「それでは歌舞伎らしくない気がする」と言って、
「俺がこーとーだー」と見得を切りながらやっているんだそうです。
僕も聴いたことがありますが、
あれは六代目さんだからできるんだなと思った。

この役と「静と知盛」をきっかけに、セリフのものをたくさんやるようになりました。

「静と知盛」は、静も知盛もお囃子に合わせてセリフを言いますので、お囃子の師匠に「こうやりなさい」と細かくお稽古していただきました。

能取ものではほかに「賤機帯」の舟長も何度か。
「これはこの辺りに住む渡し守でござる」という名乗りがありますが、
本番が終わったあとに、先輩から「これは」の言い方でダメ出しを食らった思い出があります。

「これは」の「こ」を強調したら訛ってることになる。
「これはこの辺りに住む」を一言で言え。
ということなんです。

父も言ってましたが、
新曲浦島という曲で「あめよ降れ降れ風なら吹くな」が「雨」じゃなくて「飴」になってる人がいる。
「官女」という曲でも「浪の哀れや壇の浦」というのが
「浪」じゃなくて「奈美」になってる人がいると。
もちろん、誰とは言いません。

あと習ったのは、文楽のセリフ回しです。

東京の舞踊家さんはだいたい常磐津の浄瑠璃を習うんですが、
僕自身は文楽の太夫さんに舞踊家さん向けにということで、
「三番叟」「釣女」「団子売り」「火の見櫓の段」「車曳」の梅王丸と桜丸「七段目」の平右衛門「姫戻り」の橘姫と求女
これらの要所要所を教わりました。
要所要所なので「何か一段語れ!」
と言われてもたぶん無理ですけど(笑)

機会があればまた直してもらいたいと思っていますが、
これは本当に勉強になった。

「い」「き」「し」「ち」「に」が喉をやられやすいから特に注意して発声するとか。

梅王丸と平右衛門は、ちょっとだけにしてもいいところを教えてもらったんですよ。
このなかに、お姫様、町人の男、その奥さん、大名と太郎冠者、町娘、荒事、二枚目。
舞踊にも登場する役がいっぱい入ってるわけです。

玉三郎さんが明けても暮れても「十種香」と「新口村」をお稽古されたそうですが、これもお姫様、腰元、二枚目、遊女、おじいさん、いろんな役がいる。

これらを自分のものにできたらいいなと思って、時々思い出すようにしています。

それから、そのときに言われましたことが自分の教えているものの間の取り方と全く同じだった!というものがいくつかあって、教えるときにも改めて役に立っています。

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あとは、勘平のセリフと光圀のセリフも大変難しかった。

勘平はこれから切腹しようとしている役。
そして光圀はうとうとしていたところを起こされる役。

ともに「聞かせる」ようで「聞かせちゃいけない」役というか。

間違っても弁天小僧みたいに
「鎌倉を出でてようようと、ここはところも戸塚のやまーなーかー!」とか
「ハテぇ、こころえーぬー!」なんてやっちゃダメということです。
ついつい張り切っちゃう人が、、、名前は書きませんけど。

これは坂東三津五郎先生が團十郎さんの代役で弁慶をされたときに、何役もしていたので体力を維持するために
「やーれしばらーく、御待ち候え」を押さえて言ったけど、
考えてみたら「落ち着け!」という意味なんだから
それが正解なんだと気づいたということと同じだと思います。

それは重々気をつけていたつもりなんですが、
勘平のときは三津五郎先生のお弟子さんだった方が見てくださって「セリフもうちょっとはっきり」とダメ出しをいただき、
光圀の時は「ハテ心得ぬ」の「ハ」は消したほうがいいとダメ出しをいただいた。これ、いまだにできない(笑)

さらに、光圀のとき後見に来てくれていた藤間大智くんに
「光圀のときかなり押さえてたけど、遠慮してない?」とも言われてしまったんです。


残念なことに、僕らの場合1日しかやらないので、
終わってからのダメ出しを次に活かせるかがわからないんです。

次にどなたかがなさるときに、ちょっと参考になればと思って書いておきます。

忠臣蔵

いよいよ今年もあとわずか。

12/14は、赤穂浪士が吉良邸に討入をした日ですが、
忠臣蔵をご存じの方も少なくなりました。

元禄年間の「赤穂事件」というものがこれにあたりますが、
浅野内匠頭が江戸城内松の廊下で吉良上野介に切りつけ、
内匠頭は切腹、お家断絶となってしまい、
これを不服とした大石内蔵助ら赤穂浪士四十七名が、
本所松坂町の吉良邸に討ち入り、上野介を討ち果たします。

史実では、浅野内匠頭が吉良上野介になぜ切りかかったのか謎も多いそうですが、
この事件から四十七年後、浄瑠璃の三大名作のひとつ
「仮名手本忠臣蔵」が初演されます。

この「仮名手本忠臣蔵」は、太平記の世界を借りて
浅野内匠頭→塩冶判官
吉良上野介→高師直
大石内蔵助→大星由良助(歌舞伎では由良之助)など、
役名も変えてあります。

江戸時代には史実を丸ごと脚色することができないので、
太平記の世界を借りて、
時代を足利将軍の時代、
江戸のお話を鎌倉のお話に変えてカモフラージュしたのです。

バレバレですけど。


さらにこの作品が未だに文楽・歌舞伎で上演される名作となったのは、
塩冶判官が師直に切りつける理由→塩冶判官の奥さんにフラレた腹いせに判官をいじめたから

という風にわかりやすくなっており、
師直を金と性欲まみれの嫌なじじぃにしてしまったからだと思われます。

実際、僕も小さい頃は「この芝居のどこが面白いんだ」と
思ってましたけど、大人になってから楽しめるようになりました。

文楽での通し上演は、何年か前に1日通して拝見しました。

腰いたくなります。笑

ただ、このやるせない悲しいお芝居の救いとなるのは
「下ネタ」です。

大序から師直さん、スパークしてくれます。笑

さらに、奥さんの断りの返事を預かってお屋敷にくる
「おかる」という腰元がやばい。

恋人で塩冶判官の家来の早野勘平(史実の萱野三平)に最初から
セクハラしたい放題です。笑

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ちなみに、以前僕も勘平の役をやらせていただきました。
拝見ピンクだけどこれはたまたまです。本当に。

この仮名手本忠臣蔵三段目の改作である「落人」という曲です。

この最初の台詞に
おかる「幸いここの松蔭で」
勘平「しばしがうちの足休め」とあります。

もともとの文楽では
刃傷の前にやりとりしてるセリフです。

誰も見てないからって松の木の蔭でお前らなにしとんじゃ。

って内容です。

だから「落人」のときの勘平は袴を履いてないんです。

それからしばらくは下ネタはお休みします。
なんてったって判官さま切腹しちゃうんだから。

でも、判官さまと由良助の息子の力弥は、
四段目の判官切腹の段で、何も言わずにしばらく見つめあいます。

あれは...信長と蘭丸みたいな感じなのかな←おい

で、五段目六段目ではおかるのお父さんと勘平さんが死んでしまう。これ、泣けますよほんと。

七段目は由良助の遊興が描かれ、六段目で勘平が軍資金を調達するために身を売ったおかるちゃんが登場。

てか、遊ぶ金があるのに家来に軍資金調達させる由良助って。。って思うでしょ。

敵を欺くためだけじゃなくて、それでも敵討ちを本気でしたいのか、家臣たちを試しているところもあるんでしょうね。

実際のところおかるちゃんは危うく由良助に請け出されて殺されそうになります(現行上演では死なない)

で、その身請け話のときに由良助さまの下ネタが炸裂します。

さらに八段目の下ネタがひどい。

文楽見に行くと字幕が出ますけど、あの部分全部ひらがな。

とてもここには書けませぬ。

これは、力弥の許嫁の小浪ちゃんの嫁入道中で、
東海道を上って京へ向かう道中。

義理の母の戸無瀬(となせ)は、力弥の家がいまは浪人中なので、娘とふたりで京へ向かう。

途中、豪華な嫁入りの行列を見て「うらやまし。ああ世が世ならあのごとく」と、小浪ちゃんは悲しむんです。

その気持ちを和らげようと、
戸無瀬は敢えてふんだんに下ネタをぶっこんできます。

ひどい。

しかし、このあと無事に嫁入りできるかと思えば
小浪ちゃんの父、本藏は九段目で力弥に討たれます。

父の首と引き替えに嫁入りを許すと言われてしまうのです。
(理由は実際に劇場でお確かめください。長くなる)

そして、嫁入りしたと思ったら、
翌日には敵討ちに向けて力弥は出立します。

この日から、小浪ちゃんは未亡人になるんです。
かわいそう。

八段目のド下ネタは、九段目の悲劇に向けて少しでも気分を明るくしようということなんです。


そして、運びの巧みさには本当にうなります。

例えば、六段目の悲劇のキーポイントとなる軍資金。

「金」という単語が、なんと四十七回出てくるんだとか。
(四十七士になぞらえてあるらしい)

それから、六段目の長い長い貧乏なあばら家での悲劇が、
一転して華やかな下座音楽で幕が開き、床に太夫さんが入れ替わり立ち替わり居並ぶ七段目。

さらに八段目では太夫と三味線がずらりと並んで、
賑やかな道行になる。

歌舞伎の通し狂言の場合要所要所は下座が入りますが、
文楽は基本的には義太夫を使います。

ここ!という場面で長唄の下座が入るのもまた面白いです。

歌舞伎での好きな場面はやはり討入の場面(十一段目)ですが、
文楽の場合はすでに討ち取ったことになっており、
引揚の場面、もしくは焼香の場面がつくようです。


僕が見たときは引き揚げの場面で、下手から由良助たちが出てくるときに客席から洩れてくる歓声と拍手は、
まるで江戸時代にタイムスリップしたのか、
それとも長い長いお芝居がフィナーレを迎えた喜びなのか、
朝から全部通してみた達成感なのか。
(朝10時開演で終演は夜9時半。間に15分ぐらいの休憩が3回ぐらいと、かなりぎゅうぎゅう)

いろんなみどころがある忠臣蔵。

今日は、見たことない方に興味を持ってもらえるように
放送コードぎりぎり(というかアウト)なことばかり並べてみました。

操り三番叟の思い出

操り三番叟は、小さい頃実川延若さんの映像を見て以来憧れの演目でした。

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おそらく小学校2年か3年ぐらいだったと思います。

いろいろな役をこれまで踊らせていただきましたが、共通して言えるのは
「いつ、どんなタイミングで、どんな作品をやることになるかわからない」ということ。

高校生の頃はお囃子を習って、師匠から舞踊会に呼んでもらったり、父が音響の仕事をしていたのでとくにいろんな舞踊会に遊びに行ったりするようになって、いろんな踊りがあることを現場でも知ることができました。

何かお手伝いしたわけではなかったのに、
会主の先生からお小遣いを戴いたりなんてこともあって、
今思い出せるだけでも「日高川」の浪布に入ったり「吉野山」の附鼓をやったりするようになっていました。

その頃には「日本舞踊ってお金がかかるんだな」ということも肌で感じて(笑)
娘道成寺、鷺娘、京人形、鏡獅子といった、やりたかったものを諦めたりもしました。
(娘道成寺と鷺娘は、お陰さまで大人になってから上演できました)

ただ、諦められなかった作品と言えば
「操り三番叟」でした。

1回目の僕の会をやろうと話が決まったとき、
先輩の花柳貴柏さんが「1回目の会なんだから三番叟ものやりなよ」っておっしゃってくださり、ならば操り三番叟をやりたい!ということに。

この作品だけは絶対に、自分の頼みたい先輩に後見をお願いして、やりたいようにやりたい。って思っていたのですが、
幸いなことにその夢も叶いました。

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花柳寿美藏兄さんが後見を引き受けてくださり、
たぶんめんどくさかっただろうなと思いますが、本番前日まで何回もお稽古に付き合ってくださいました。

師匠も理解をしてくださって、流儀の会の直前に、
国立劇場のお稽古場でお稽古までしてくださった。

さらに、花ノ本流のお家元、海さん(現、寿お兄さん)も出演してくださることになり、
本番はあっという間でした。

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まだこの当時はお弟子さんも少なくて、
費用の面でも合間にバイトを掛
け持ちして、
流儀の会にも出演して。
という状態でしたので、今考えるとずいぶん思いきったことしたなーと思います。

それが、2年後に流儀の先輩の会でも踊らせていただくことになった。

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自分の会に比べたら、会場のキャパも道具の豪華さも違う。
さらに先輩の花柳寿太一郎さんに後見をお願いして、なんと1100席の舞台が満席という、
僕にはとても光栄な舞台となりました。

実はこのとき、前日がリハーサルだったのですが、
最初に飛び跳ねながら舞台を回っていたとき、
所作台が「がたがた」と音を立てていたんです。

そこで「他へはやらじとぞ」の謡のあとに飛びまして、一瞬「つま先から下りよう」と思ったのがいけなかった。

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着地の瞬間
つま先が曲がってはいけない方向に
「グシャっ...」

ただ今思うと、つぼ合わせのときに
「お前、ジャンプ力あるなー。俺そんな持ち上げてないぞ」っておっしゃっていただいたのですが、 
寿太一郎さん以外の方に後見をお願いしていたら、
着地のときに全体重がかかって間違いなく骨折していました。

翌日まで足を冷やして、踊りはぼろぼろでしたが
なんとか舞台に穴を開けずに済みました。

もう、所作台ががたがた言おうが関係ありません(笑)

いろんなことが勉強できて、
自分の中でも大切な思い出となったこの作品。
もうやることはないかなと思います。


この頃からです。
僕はわりと派手な作品を踊りたいほうだったので、
教えるものも歌舞伎舞踊が多い。

それを、お弟子さんが無理のない範囲でできないものかなと考えるようになった。

会に呼んでくださった先輩が、どれほどの思いで
当日を迎えたかも少しわかるつもりです。

なかなか自分のやりたいようにはことは運ばない。
そんなもどかしさを常に抱えて、それでも孤独感にのまれることなく、淡々とお弟子さんのお稽古と自分のお稽古。

1回目のときは操り三番叟をやりたい一心で、
朝10時から19時までバイトをして
(それもクレーム対応。笑)
20時から新宿で友達のお店を手伝って
始発で帰ってお弟子さんの稽古して。

なんてこともできましたが、
お弟子さんにはそこまでさせたくないし、
第一そんな情熱のあるお弟子さんはいない。

「嫌になったら稽古場を変えればいい。」


先生がどれほど愛情を注いだところで、
そう思っている方も少なくない。

今は「高くてもきちんとした舞台をやりたい」方より、
圧倒的に「できるなら安く踊りたい」と考える方のほうが多い。

だったら、変な話「1人から50万円もらうより10人から50000円ずつもらったほうがいい」と思うようになったんです。

明確に「こういう稽古場にしたい」という目標もなく、ただ舞台に出たいだけで突っ走っていたのも
幸いしたのかもしれません。

毎年会をやるたびにいろいろなこともありますが、
あまり気にしなくなりました。

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それを考えても、今だったら予算を考えて
「絶対むり!」って思ってしまうような会を
あの当時やっておいて良かったのかもしれません。

江戸時代の貨幣価値

江戸時代の貨幣価値は現代と単位が違うので、
歌舞伎や文楽を見たりするときに「?」ってなりがちです。

一両の小判がいくらに換算できるかというのも時代によって微妙に違うようなのでなんとも言えませんが、
ざっくり言ってしまうと一両なんてお金は庶民がなかなか手にできるお金ではないと覚えておくだけで違うと思います。

諸説ありますので、一概に一両がいくらと説明しにくいのですが、
僕は一両がだいたい10万円と換算するのが
わかりやすくていいかなと思います。

※本やサイトによって60000~130000円といろんな解説があります。

一両の4分の1が一分(いちぶ)=約25000円

一分の4分の1が一朱(いっしゅ)=約6250円

一朱の400分の1が一文(いちもん)=約15円


ということは

「早起きは三文の得」=早起きは約45円の得

二八そば=16文=約240円

ということに。
※諸説ありますので、だいたいそのぐらいなんだなーぐらいで思っていただけるといいかなと思います。

なので例えば「髪結新三」という芝居で
「三分で鰹を買った」というと、約75000円。

そのあとの
「私などは三分ありゃ、単衣もん1枚買いますよ」というセリフからも、大金なんだとわかります。

また、それだけの買い物をしてもかどわかした娘の身代金として大金が入り、ぐうたらライフができる!
もう髪結いなんかやめてやる!という新三のイキった部分が引き立つということになります。

ちなみに、そのあと大家さんの家に泥棒が入って、
新三がもらえるはずの身代金三十両の半分以上くすねた大家さんが損をしたというオチがつきます。

そのとき大家さんが「十五両や二十両で、四つ引き出しが埋まるものか!」と捨て台詞を言います。
さらに新三の子分が「一引き出しを十両と、安く踏んでも四十両」と言っています。

単衣が1枚約75000円としたら、袷はもっと高いということになります。
例えば、袷1枚を一両としてひとつの引き出しに10枚入る計算だと、
四つ引き出しがあるお家というだけで、ちょっとリッチと考えていいかもしれません。

なお、江戸時代は着物1枚が高かったので、
庶民のほとんどは古着を着ています。

よく「遊女を身請けするために着物を質入する」という話が出てきますが、
有名な近松門左衛門の作品「心中天網島」という浄瑠璃の改作

「時雨の炬燵」という芝居で、
妻子がありながら遊女の小春と三年近くも馴染んで、
お金もなくなってしまった治兵衛。

女房のおさんは小春に別れてほしいとこっそり手紙を送り、
小春は治兵衛に愛想尽かしをします。

治兵衛の恋のライバルに身請けされそうになっている小春が「あの人に身請けされるなら死ぬ」と聞いていた治兵衛が
そうおさんに伝えると、おさんは慌てて
「小春さんを身請けしてあげてください」と言います。

小春の身請けに必要なお金は150両。
せめて半金だけでも先に支払わないといけない。

自分の男を寝取った女ですから本来別れてくれればそれでいいのですが、
客の女房である自分の頼みをすんなり受け入れてくれる
義理堅い遊女はそうそういません。

しかも小春が死ねば「あの女房のせいで、遊女一人殺した」と亭主の恥になり、店にも客が来なくなる。

だからおさんは小春を助けたい。自分のせいで死なせたくない。

半金ならばといって、お店のために貯めておいた50両を渡し、
さらに自分や子どもの着物を質入して、小春を助けようとします。

そして治兵衛が差し出した羽織を着せて送り出そうとします。

よくできたお話ですが(笑)半金なので、75両ですね。

そしてお店のために用意してある50両と、25両分の着物。

今でこそ中古のリユースは、あまり高く売ることはできないでしょうが、この当時は着物も貴重品でした。

現代は中小企業が少なくなって、
義理を立てるというお話も理解しにくくなり、
お金の価値もわかりにくくなりました。

でも、こういう事情があるとわかると、お芝居や落語が少し楽しめるかもしれません。